2007年07月30日

沖縄の海の風景

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梅雨が明けてから天気のいい週末はたいてい海に行っている。今回載せた写真はいずれも、そのときに撮ったもので、上から山城海岸、平和祈念公園の東側にあるギザバンタ、真栄田岬。魚の写真は、真栄田岬で撮影したものだ。

海岸の風景は場所によって変化に富んでいる。それが沖縄の魅力になっているのだろう。一方、海の中に入ってみると、いずれも共通することがあるのに気づく。沖に向かって泳いでもしばらく膝くらいしか深さがない遠浅の海が続くことだ。そんな遠浅の部分にうようよと多種多様なたくさんの魚が泳ぎまわっている。さらにしばらく沖へ向かうと、がくんと海底が深くなり青黒い底が足元に広がる。ここにくると、魚の数と種類は極端に少なくなる。

海は陸から果てしなく広がっているように見える。だから、陸地に近い部分を多少埋め立てても汚してもたいした影響がないように思えてしまう。しかし、一歩海の中を覗けば、陸地に近いわずかな遠浅の部分が海の豊かさを支えていることは一目瞭然である。海の豊かな生命の森がどれだけ失われてきたことも明らかだ。

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2007年05月22日

渡嘉敷島日帰り旅行

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那覇からフェリーで1時間の渡嘉敷島に行ってきた。

沖縄の海は晴れの日と曇りの日では表情が全然違う。特に今の季節はそうだ。晴れると、吸い込まれそうな青が空と海に広がり、体の奥まで青に照らし出される気分になる。山々の緑も深く、濃い生命力を宿っている予感をみなぎらせる。

しかし、残念ながら渡嘉敷島から那覇に帰るころには、曇り空に変わっていた。いったん雲に覆われると、空はただの灰色の幕になり、海は巨大な水槽にしか見えなくなる。木々も表面から生命力が消え、白茶けた表情を表すだけだ。


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2007年05月13日

海中撮影

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海の中で写真を撮ったのは何年ぶりだろうか。以前撮ったときには、「写るんです」を、専用のケースに入れて海中に持ち込んだのだが、2,3回で水が入ってしまい、使えなくなったと思う。10数年前だろう。今回はデジカメとそれ専用のマリンパックを買っての挑戦である。以前は総価格が数千円だったのに対して、今回は5万円近く費やしたから、結果は違うものと信じている。

実際に撮ってみて一番の戸惑いは、ファインダーがよく見えないこと。構えた先に何が写るのか分からない状態だった。撮った日がうす曇りだったせいなのか、水の透明度がよくないのか、そもそもフラッシュをたくべきなのか、分からないが、画像のクリア度は今ひとつだった。珊瑚の死骸が海底に多いのが気になった。

ちなみに、写した場所は、沖縄本島の最南端に近い大度海岸。小さな海岸だが、ダイバー海水浴を楽しむ人やら4,50人はいた。

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2007年02月25日

猫の表情と地域

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どこに出かけても、猫がいるとつい目がいってしまう。置物のようにうずくまる姿は路地裏の哲学者。日本であろうと、外国であろうと同じ猫のはずだが、微妙に表情が違うような気がする。一番上の写真はプエルトリコ、二番目が首里城、三番目が県立図書館、四番目が自宅近くのアパートにいた猫だ。
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2007年02月24日

浦添城跡の地下壕2

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浦添城跡に残る沖縄戦の地下壕について前回からの続きである。

(※前回もそうであるが、今回説明する壕は安全の確保された観光施設ではない。子供は入るべきではなく、大人が入る場合も危険を伴う。自覚したうえで、入るか入らないかは自己責任で判断すべき。入る場合でも経験のある人と一緒の方がいいだろう)

浦添城跡の頂上付近は点ではなく、東西に延びる帯のような格好をしている。頂上付近より少し下の南側斜面を、頂上部分に平行して東へ向かって歩くと、頂上部分が終わり斜面になるところに、為朝岩がある。細長く天に向かってそびえる岩だ(1番上の写真)。ここからは北の中部方面も、沖縄戦中に最初の司令部が置かれた首里方面もよく見渡せる。沖縄戦中は米軍からニードル・ロック(針岩)と呼ばれ、このポイントの争奪をめぐって激戦になったのもうなずける。

浦添城跡の東側斜面に広がる墓地の間を抜けて、南側斜面のふもとに下りる。団地の裏手、斜面側に「糧食壕」と呼ばれた地下壕がある。名前のとおり沖縄戦中は缶詰などの食糧が保管されていた。この壕は、最初に入った頂上付近の作戦壕とは違い、落盤の跡はほとんどなく、天井や壁面はなめらかである。しっかり固められていて、壕をつくった当時からほとんど変化していないように見える(2番目)。壁から天井にかけて二十センチ幅の溝がところどころある(3番目の写真)。壕を支えるために取り付けられた枠木の跡だ。地面には、赤錆が浮きひしゃげた鉄の小さな塊がいくつかあり、沖縄戦当時に蓄えられていた缶詰と見られる(4番目の写真)。

糧食壕から10メートルほど上った斜面に「兵員壕」の入り口がある。この壕も、糧食壕と同じく、ほとんど落盤の跡はなく壕としての保存状況はいい。地面に地下足袋の底らしきものが、1か所にまとめられ重なっている(5番目の写真)。壁面にはちょっとしたものを置けるような窪みがあり、錆びで赤くなった歯車や棒のようなものがある(6番目の写真)。

これら2つの壕から西へ100メートル、小さな公園から斜面を上がったところに、コンクリートで固められた兵員壕の入り口がある。この壕は、入り口から数メートルのところまで浸水しているため、長靴をはいていないと入っていけない。

これらの壕に入って感じたのは、壕という自然をいかした要塞の堅固さである。沖縄戦では、1945年4月1日に米軍が沖縄本島の中部に上陸、4月20日前後から、これらの壕付近が米軍との戦いの最前線になり、あたり一帯は草木一本残らないほど激しい米軍の砲火を受けた。にもかかわらず、今でもほとんど落盤の跡がないのである。

一方、配置された日本軍の兵士の大半は命を落としている。根性論に頼った無謀な作戦のせいであり、米軍に比べると圧倒的に劣った装備のせいである。5月にはいると、米軍は浦添城跡の東側からまわりこんで攻勢に出たが、日本軍は弾丸を撃ち尽くしてしまい、石のつぶてや手榴弾しか武器がなくなった(それさえなくなると、夜中に銃剣で敵陣に切り込んで武器を奪ってきたそうだ)という。

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2007年02月18日

浦添城跡の地下壕1

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浦添城跡は沖縄本島の中央部に位置する小高い丘だ。標高は100メートル余りであるが、山らしい山のない本島の中南部一帯をここから見渡せる。南には那覇市、北には宜野湾市の白い建物が連なる市街地が見渡せ、西にはコバルトブルーの沖縄の海と慶良間諸島の島影が見えるなど、絶景である(1番上の写真)。しかし、本島中南部で見晴らしのよい場所は、たいてい沖縄戦で激戦地になっている。見晴らしがよいとは、敵を補足しやすく攻撃をかけやすい。日本軍は地の利をいかして、ここに陣地を築いた。物量で圧倒的に勝るアメリカ軍は猛烈な攻撃をしかけた。

この浦添城跡にも太平洋戦争中に日本軍が築いた地下壕跡が残る。県道153号線から東へ向かう道路に入り、浦添城跡内にある「浦添ようどれ館」の横をとおり、「平和の碑」などが立つ丘の頂部分を、北側斜面に少し回りこむと「浦添ようどれ」(琉球王国初期の威淳年間<1265-1274>に英祖王が築いたといわれる王陵。2番目の写真)に行くが、逆に南側斜面に回り込み両側に草が生い茂った道をしばらく歩くと(草原が途切れ眺望がひらけ、石碑が建つ場所があるが<3番目の写真>、そこを過ぎ再び草の生い茂る道に戻った後)、山側の左手に壕の入り口を見つける。入り口は網が張られて入られないようになっている(4番目の写真)。

最初に入ったのは、戦闘指揮所として使われた壕である。壕の幅は1メートル足らずで、人がすれ違えることはできても体の向きを変える必要がありそうだ。中に入ってすぐ気になるのは、足元に10〜20センチほどの小さな岩がごろごろ転がっていることだ。天井や壁に目を向けると、ヒビがよっているところがある。崩れやすい土質のようである。少しまっすぐ歩くと、太陽の光がもれているのが見える。丘の反対側の崖に空けられた監視窓なのだそうだ。北から攻めてくるアメリカ軍の動きを見るためである。資料によれば、入り口から監視窓まで30メートルほどの長さがある。

監視窓の数メートル手前で、右に伸びる壕がある。少し歩くと、左手に机が入るほどの少し広くなったスペースがある。師団長や大隊張がいたところだそうだ。さらに奥へ向かって歩くと突き当たり、壕は右に折れる。さらにまっすぐ行けば、浦添城跡の南側斜面に再び出られる(入り口付近は崩落していて、現在出入りは難しい)。

簡単にいえば、1辺が30メートル前後のコの字型に壕は掘られている。掘削機械などない当時、これだけのものをよく掘ったと思う半面、天井は頭のすぐ上、幅は人2人がようやくすれ違える程度の大きさは、人が長い時間いるには圧迫感のある空間だろう。崩れやすそうな地質でもあり、「ちょっとでも地震があったら生き埋めになるのじゃないか」という不安が時々頭をよぎる。しかも当時は、地面を大きく揺らす米軍の砲弾が雨あられと降っていた。それでも、日本軍兵士にとっては米軍の集中砲火を浴びる地上にいるよりはましだったのだろう。

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2007年02月01日

カリブ海の豆料理

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年末から年始にかけてカリブ海の国、プエルトリコとドミニカ共和国に行ってきたので少々報告しよう。

まず話題は食べ物。ブラジルに住んだ経験のある私にとって興味深かったのは、両国とも豆料理がポピュラーなことだ。メキシコ料理でも煮込んだ豆をよく見かけるが、これはトルテージャに巻いて食べる材料の1つであり、味付けは非常に薄い。ところが、プエルトリコもドミニカも、辛めの味付けをした豆の煮込みが油で炒めたご飯とともに出され、豆の煮込みをご飯にかけて食べる。まったくブラジルと同じスタイルだ。大衆食堂では、鶏肉か魚肉、白飯か赤飯(ケチャップで色をつけたように見えたが、本当のところは分からない)を選び、そこに豆の煮込みが付いてくるのが一般的。一番上の写真がその一例(魚肉の場合)。

豆料理といえば、プエルトリコには「アソパオ」がある。豆とともに鶏肉やシーフードを煮込んだ雑炊だ。二番目の写真である。アメリカ・ニューオーリンズで有名なガンボとまったく同じ料理だと思った。ただ、ガンボの方が鋭い辛さがあるような印象だった。

三番目の写真は、プエルトリコのキングバーガーで食べたチキンサラダだが、豆が付いてくるところが、プエルトリコらしい気がした。

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2006年11月26日

沖縄の秋の気配

昼間は暑くなるけど、最近沖縄でも空気が乾き、遅まきながら秋の気配が漂うようになった。青空の青が濃くなり、白い家のコントラストがちょっと目にしみる。特に何というわけではないけど、海に行き海岸縁をうろうろ。また丘を上り森の中をうろうろし、写真を撮ってみた。

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2006年11月18日

琉球の精神世界

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 先日、知念半島の史跡を回ってみた。沖縄では御嶽(ウタキ)は神が宿る場所として人々が拝む場所になっているが、私は各地の御嶽を見るたびに、なぜここを拝む場所に選んだのだろうかの疑問がわいてくる。ただ小さな石や煉瓦のかたまり、香炉などが置いてあるだけにしか思えない。ほかの場所との違い、特に神聖なものを感じさせる要素が見られないからだ。
昔の人々がいかに想像力が豊かだったかの表れかもしれないし、自分が沖縄的な信仰の下地に欠けているせいかもしれない。想像力の欠如や衰退は、現代人全般に言えるのかもしれない。
 それでも、知念半島全体が美しい海岸線と、豊かな森と水に恵まれ、神聖なものを感じずにはいられないことはなんとなく分かった気がする。

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2006年10月09日

那覇まつり

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昨日「那覇まつり」をのぞいてきた。大人の一抱えもありそうなほどの太さの綱を使った綱引きがメインの祭りだ。東西に分かれて数百人(実際には千人は超えているかもしれないが)が引き合う様は、それはそれで盛り上がるが、祭りに集まった人々の顔が一番輝いて見えたのは、綱引きが終わって、大綱が解体される時だった。綱引きに使った綱は、各自むしりとって持ち帰っていいようだ。綱引きが終わるまで、神々しく扱われていた大綱が、集まってきた祭りの参加者や観客によってちぎられ、剥がされ、切り刻まれる。人々は、無法状態の都市の商店に押し入って商品を持ち去ろうとする略奪者のように目を輝かせ、戦利品の綱の一部を抱え帰路についていた。

posted by Tetsu at 18:10| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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